地域で見守る ilo-イロー kitatomirai アフタースクール

奈良市北登美ヶ丘で、地域に密着した学童保育を2018年4月からオープンしました。地域で様々な年齢の人たちが共に学び、発見し、お互いに見守る場所を創造していきます。

与える人

"give&take 与える人こそ成功する時代"を読みました。

与える人→ギバー

得る人→テイカ

与えると得るのバランスを取る人→マッチャーと呼ばれるそうです。

調査では、

割合は、

ギバーは全体の25%
マッチャーは全体の56%
イカーは全体の19%で、

バランスを取ろうとする"マッチャー"が過半数を占めているそうです。

 

ギバーとは文字通り"与えようとする人"です。

将来成功したり、幸せを感じる人にはギバーが多いといわれます。

 

イカーは、得る(だけ)の人

 

普通は、与えられるとお返ししようとする(マッチャー)心理が湧くだろうと考えがちですが、

実は世の中を見回すとそうでないのです。

ただ得るだけのテイカーが存在します。

 

与えようとするギバーと得るだけのテイカーの組み合わせは時に不幸を生み出します。

 

ギバーは人に与える事で幸せを感じるので、ひたすら与えようとするのですが、

それをギバーはある意味何の感情もなく搾取し続けるのです。そこに感謝はあまりありません。与えてくれてるんだからもらって当然じゃん!みたいな考え方をするのです。

 

ギバーの人はテイカーに搾取(時間、労力、気持ち、物、お金など)されている間、幸せを感じているでしょうか?

恐らく疲弊して、悲しく、なんだかおかしいぞと感じている事でしょう。

 

教室をしていると、この「なんだかおかしいぞ」という感じがする時があります。

共に教育『共育』をしているという感覚を感じない人です。

ただ預かってくれたら良い、ただ成績を上げてくれたら良い、自分の都合の良いように動いてくれたら良い、気に入らなかったらクレームをいれたら良いという感覚で教育サービスを利用する人です。

一見、教育熱心のように見えます。ですが

子供の教育の前に、親の"意識"を改めるべきと思う場合があります。

周りを自分の駒のように思っていないか考え直すべきです。いずれ子供にもこのマインドが引き継がれてしまうでしょう。

 

iloではほとんど出会った事はありませんが、この "あれ?なんだかおかしいぞ?"と感じたときは正直あります。(残念ながら塾や教室を長年していると、一定の割合でこういう人に出会ってしまうことがあります。)

 

今の時代のサービスの形態は昭和の日本とは違います。サービスをする側、サービスを受ける側が共に幸せ楽しさ、面白さを感じる事ができないと成り立たない時代になってきていると感じます。皆さんはどう思いますか?

 

主宰側がほんの一握りのテイカーのような人に我慢して、どんよりした気持ちを感じながら教室を運営していたら、純粋な気持ちで預けてくださっている保護者の皆さんやお子さんに申し訳ないです。

 

話を本に戻しますが、

大半がギバーとマッチャーで占める世の中で、もしも、

イカー(搾取する人、得るだけの人)に出会ったらどうするか??

上記の本やさまざまな記事を読むと、ただ、

逃げなさい、離れなさい、無理に付き合わなくて良い

という事でした^_^

 

ママ友やクラスメートでも当てはまる事ではないでしょうか?  

 

 

人を正す事は難しいです。

自分自身の心のありようを正常に保つ事が重要だと思います。