学校からiloに帰ってくると、息つく暇もなく
オモチャで次から次に遊ぼうとして、
「次は何をしたらいい?楽しそうなオモチャがもうないよ!」と言う子がいます。
おやつタイムには、いろいろなお菓子を出しますが、たまに「この前出してもらったゼリーがよかったなあ、今日はないの?」と言う子がいます。
「〜より、〇〇の方が良かった。」
「前はこんなのがあったのに。」
「○○よりも△△がしたいよ〜」
と言うのが、口ぐせになっている子がいます。
そんな時や、プログラムをする前に子供達には
「無いものを欲しがるより、自分が今持っている物で楽しめるように努力してみよう!」
とお話しします。
また、子供たちには
「大人は常に子供達を喜ばせたり、遊んだりする存在ではないよ」
というお話しもします。
「静かに黙って自分だけの時間を過ごす」
ということも教えたいと思っています。常に大人が何かを与えていると子供は、物や楽しみがある事に慣れて、思考停止に陥ってしまうからです。
今そこに無いもの、持っていないものを求めて「あれが無いこれが無い」と言うよりも、今目の前にある物、時間、その時、状況に感謝するという気持ち、無い中での解決策を模索する力が育って欲しいなあと思います。
それが"思いやりや礼儀を持つ"ということに繋がっていくと考えます。
物があふれている時代に、子供に"何を与えるか"よりも"何を与えないか"を親が考える方が、難しいと思います。
「他にはないの?もっともっと欲しい」
という感覚。
仏教では三毒に代表される煩悩をなくすことは、「苦しみの原因」を消滅させることと教えます。
三毒とは、「貪瞋痴(とんじんち)」という言葉で表現されます。
なかでも貪は、
貪り(むさぼり)とも言われます。
貪欲とは、現代でも使われる言葉ですが、
「欲しいものなどに対して、執着する心」を意味します。
もっと良い服を着たい、もっと良い生活をしたい、もっとお金が欲しいと執着する気持ちがあるからこそ、それらが手に入らない時や失った時に、苦しいという感情が生まれるのです。
昨日の自分よりもっと成長したい!という向上心の気持ちはあって良いのです。
でも人は、
あれが欲しい、あの人の状態が羨ましい、
今より〜ならば、あれがあればもっと幸せなのに。と、無いものを求めて、「もっともっと」と考えてしまいます。
近くにいる子供は大人をよく見ています。
ミラーニューロンといって、
言葉や行動、考えているだけでも子供に伝わるそうです。
大人も常に自分自身を修正しながら、過ごしていかないと、すぐにこの三毒に囚われてしまいそうになります。
「子供に幸せになって欲しい」と親は共通して思っています。
昨日の自分より一つ上へ向上する、という気持ちは持ちつつも、
これからの時代に必要な力を考えた時、
"いかに物を与えないか"という教育が非常に重要になるのではないでしょうか。