地域で見守る ilo-イロー kitatomirai アフタースクール

奈良市北登美ヶ丘で、地域に密着した学童保育を2018年4月からオープンしました。地域で様々な年齢の人たちが共に学び、発見し、お互いに見守る場所を創造していきます。

フィンランドと日本の教育の違いを考える

 北欧の福祉や教育について、それから自分の子供への教育について、

思春期の子供に対する教育や接し方について勉強になる本を読みました。

受けてみたフィンランドの教育

受けてみたフィンランドの教育

 

 実川元子さんという翻訳家の方の娘さん当時高校二年生だった真由さんがAFSという留学機関を通してフィンランドの公立高校に留学した経験を、娘さんの体験談とお母さんがその内容を解説をするという形式で綴られています。

 

フィンランドといえば、OECDが15歳を対象に行った学習到達度調査において、

2003年に読解力世界1位(日本14位)、科学リテラシー1位(日本2位)、問題解決能力2位(韓国1位、日本4位)と、それまで教育大国を自負していた日本を震撼させる結果となりました。その後も、フィンランドはつねに上位を維持し続けています。

 

しかし、真由さんが実際に体験したフィンランドという国には、塾も偏差値も私立の進学校も、すさまじい受験戦争も、まったく存在しなかったのです。

では、なぜ、世界的な競争力のある教育大国になったのか。

 

それは、「大国に挟まれた小国で、人口や資源では太刀打ちできない、一人一人の資質や能力を上げて、GDPを上げ、グローバル化する時代の要請にこたえるためには、教育大国になるしかない」と国を挙げて、落ちこぼれを作ることなく、一人一人の能力を高める努力がなされているからなのでした。

 

フィンランドでは、学校にかかる費用(大学まで)はほぼ無料、学生には一定の補助があるため、アルバイトをしないといけないということはありません。

 

落ちこぼれを作らないという意味では、フィンランドは小学生から留年があるそうです。わからないまま進級するほうが恥ずかしいという考え方で、日本のように年齢に左右されて追い立てられるのではなく、一人一人の能力や進度に応じて、きちんと積み上げていくことが大切だという考え方なんですね。

 

また、英語教育に関しては、私もフィンランドを訪れて感じましたが、レベルがすごく高いのです。フィンランドでは、いわゆる穴埋め問題や選択問題というものはなく、

英語は、エッセイを書かせるなど論理的に、自分の考えを徹底的に組み立てて書かせ、添削する授業が行われるそうです。

実際に留学に行った真由さんも、フィンランドで教育を受け、格段に論理的に話ができるようになって帰ってきたそうです。

また、化学や数学、国語(フィンランド語)なども、フィンランドの人は「勉強する」というのではなく「読む」という言葉を使うそうです。

いわゆる暗記ではなく、テスト範囲の分野についての本をたくさん読み、その内容について論じるテストが一般的なのだそうです。

真由さんが日本の高校に帰ってきたすぐのテストでまた、暗記中心の「勉強」に苦しんだそうです。

留学の最後に、フィンランドの先生に英語で書いたエッセイを読んでもらい「真由は本当に英語の力がついたわね」と褒めてもらっても、日本のテストではかなり苦労したそうです。日本とフィンランドの教育の違い、大人になってからどちらの力が重要になってくるか、、、社会人を経験すると論理的に読む、書く力が重要で、学生時代に、エッセイやプレゼンテーションの力を徹底的につけてくれるフィンランドの教育は理にかなっていると思いました。

 

また、すごく私が日本の学校に対して、疑問に思っていたことをわかりやすく説明してくれている部分がありました。

 

以下抜粋します

真由さんの文章

フィンランドでの国語の先生エヴェ先生について)

エヴェは学校ではどんな時でも「先生」である。生徒の母親になることも、友達になることもない。どんな生徒と接するときも彼女は教育者の視点を忘れていない。

それでは、日本の先生の役割とはなんだろうか。

本の学校教育は、「教」より「育」の比率が圧倒的に高いように思える。

本の学校では、学問を教えることが全てではない。生徒は先生に、時には親代わりになることを望み、時には友達のように接してほしいと願っている。生徒の親でさえ、それを求めるときもある。子供の生活を正したり、将来のための一般的な教養を教えることを、学校という小さくて狭い場所に求めているのが日本の学校教育の現状ではないだろうか。それは一見親の面からみると、有難いように感じる。

「学校に行けば勉強もできるようになるし、常識的なことも教えてもらえて一石二鳥だ。学校へ行く意味はそこにあるのだ。そうじゃなければ通信教育でもいいじゃないか。」私も以前はそう思っていました。中学校や高校で、先生が生徒の格好にあれこれ注意するのを聞いて、反抗はするものの、そこまでおかしいと感じたことはなかった。なれなれしく私生活に踏み込んだ話をしてきたり、学校に5分遅刻をすればその理由をしつこく問われることも、深く疑問を持たなかった。けれど、~、やはり先生は常に「先生」であるべきだ。と考えるようになった。

そうすることで、先生にとっても職業に誇りをもてるきっかけになる。日本のように生徒の生活指導まで全ておしつけられたら嫌になってしまう人もいるだろう。一方、先生に徹していれば、自分が満足のいく教え方を日々追求していくことができる。

 

とありました。フィンランドの生徒は、そもそも学校には「勉強しにいくところ」という考え方が浸透しており、茶髪だろうが、ピアスを開けていようが、授業中に寝るような生徒は皆無で、授業は徹底的に集中するということ、そこが形から入る日本とは違うのではと感じました。

様々な考え方があると思い、あくまで私の考えですが、私も学校は勉強を教えてもらえればよいと考えがあり(自分の学生時代の思い出もあると思いますが汗)、例えば学校の行事(運動会の巨大組み立て体操など理解に苦しむ行事)も簡素でよいと思っているので、華美な形から入るのではなく、実質を追求しているフィンランドの建築や考え方などが自分に合うのだと思います。

 

また、フィンランドでは高校を卒業して、すぐに大学にいく人はかなりの少数派で、

まずは旅行したり、企業にインターンシップに行ったり、と自分の将来についてじっくりと考える人が大半だということ。これは、小学校から留年があり、何も恥ずかしいことではなくきちんと人生を積み重ねる年齢に制限のない社会、受験のない社会であり、

そのことで、個人に重点がおかれ、多様性を許容する社会が形成されていると思います。

私も実際にフィンランドを旅してすごく感じた「許容する国民性」とでもいうか、

無関心なのではなく、許容し、思いやりがある、そういう国民性を感じました。

 

この本には、翻訳者であるお母様の解説があるのですが、客観的に詳しく取材されていてすごく納得するし、感動します。

まだ、子供が小さくても、将来、中学校、高校と子供をどのように進路を進ませるべきか、考える良い機会になる本であり、子供を信じて留学に行かせる親の気持ちなどもよくわかる本です。